木村タカヒロ日記 バックナンバー
日時 | タイトル | 配信数 |
---|---|---|
2018/09/09(日) 21:10 | 【木村タカヒロ日記】Vol. 191 東京の自宅から | 91 |
2018年9月9日
こんばんは。木村タカヒロです。
午後8時の飛行機を予約していたのだけど、早い便に変更できればと朝起きてすぐにホテルを出て新千歳空港に向かいました。
予想に反して空港は混雑もなく、受付カウンターも並ばずに、あっさり昼過ぎの便に変更できました。
そして夕刻に東京に戻ってきました。東京暑い!
改めて、お気づかいいただいた皆様ありがとうございました。
まだ震源地に近い被災地で大変な思いをしている方々がいるので喜ぶことはできませんが、まずは帰ってこれてよかったです。
終わってみれば、僕などは被災者と呼べるほど過酷な状況ではありませんでしたが、あのあと更に大きな余震があったりしたら、避難生活が長引いていたかもしれません。
いま振り返ると、6日未明の地震後から、その日の夜までが、けっこうサバイバルっぽかったです。
僕はすすきのの繁華街に泊まっていたのですが、朝から救急車のサイレンは鳴り止まず、信号も消えてままなので、人は車の合間をぬって道路を横断、コンビニは長蛇の列。
東京にいる家族からLINEで、空港閉鎖やライフラインの復旧に一週間かかるかも、などの情報が来て、これは長期戦になるかもしれないのでまずは宿の確保と思い、近隣のホテルに電話するも全然繋がらず、それなら歩いて探そうと、ホテルを見つけ次第フロントに尋ねてみても、この状況で受け入れるのは不可能とのこと。
長女から「まずはスマホのバッテリー消耗を防ぐように」との指示がくる。省エネモードのやり方を教わる。
そこからは東京の司令塔からの遠隔指示に従って、市内を歩きまわりました。
夕方になり、バッテリーも残り僅かとなったとき、まだ受け入れてくれるゲストハウスがあるという情報が司令塔から入り、長女が東京から電話してくれました。
青息吐息でゲストハウスにたどり着き、中に入れてもらいました。そこには日本人のほかに大勢の外国人がいて、ろうそくの灯りを囲んで楽しそうに会話していました。
僕は会話の輪にはいれずに、ぼうっと椅子に座っていました。バッテリーも切れたし、他に行くアテもないので、しばらくはここに居させてもらうしかないな、なんて考えながらうたた寝をしていると、ゲストハウスの人から「近くに神社が避難所となり受け入れてくれるそうなので希望者は行ってください」と声がかかり、5分ほど歩いて神社に移動しました。
境内にある3階建ての建物は、いつもは講習会などで使用している広い部屋がいくつもあり、各部屋にはすでに大勢の人が避難していました。電気も水も通っていたので、早速スマホを充電し、家族に伝えました。
その後については、先日の日記で書いた通りです。
災害時におけるスマホの威力、バッテリー温存の重要さを痛感した一日でした。
そして、長女の情報種収能力と的確な判断力に、改めて感服しました。
明日からまたいつもの日常に戻ります。
=========================
バックナンバーはこちら。
http://lastly-ex.com/bkn42581/tkdiary/
メルマガ登録・解除はこちらから。
https://maroon-ex.jp/fx42581/weYe26
■木村創作通信メルマガ
https://maroon-ex.jp/fx42581/etYHyx
■木村タカヒロHP
http://www.faceful.org/
■キムスネイクHP
http://www.kimsnake.jp/
■木村創作教室HP
http://flyingdragon.me/
=========================
こんばんは。木村タカヒロです。
午後8時の飛行機を予約していたのだけど、早い便に変更できればと朝起きてすぐにホテルを出て新千歳空港に向かいました。
予想に反して空港は混雑もなく、受付カウンターも並ばずに、あっさり昼過ぎの便に変更できました。
そして夕刻に東京に戻ってきました。東京暑い!
改めて、お気づかいいただいた皆様ありがとうございました。
まだ震源地に近い被災地で大変な思いをしている方々がいるので喜ぶことはできませんが、まずは帰ってこれてよかったです。
終わってみれば、僕などは被災者と呼べるほど過酷な状況ではありませんでしたが、あのあと更に大きな余震があったりしたら、避難生活が長引いていたかもしれません。
いま振り返ると、6日未明の地震後から、その日の夜までが、けっこうサバイバルっぽかったです。
僕はすすきのの繁華街に泊まっていたのですが、朝から救急車のサイレンは鳴り止まず、信号も消えてままなので、人は車の合間をぬって道路を横断、コンビニは長蛇の列。
東京にいる家族からLINEで、空港閉鎖やライフラインの復旧に一週間かかるかも、などの情報が来て、これは長期戦になるかもしれないのでまずは宿の確保と思い、近隣のホテルに電話するも全然繋がらず、それなら歩いて探そうと、ホテルを見つけ次第フロントに尋ねてみても、この状況で受け入れるのは不可能とのこと。
長女から「まずはスマホのバッテリー消耗を防ぐように」との指示がくる。省エネモードのやり方を教わる。
そこからは東京の司令塔からの遠隔指示に従って、市内を歩きまわりました。
夕方になり、バッテリーも残り僅かとなったとき、まだ受け入れてくれるゲストハウスがあるという情報が司令塔から入り、長女が東京から電話してくれました。
青息吐息でゲストハウスにたどり着き、中に入れてもらいました。そこには日本人のほかに大勢の外国人がいて、ろうそくの灯りを囲んで楽しそうに会話していました。
僕は会話の輪にはいれずに、ぼうっと椅子に座っていました。バッテリーも切れたし、他に行くアテもないので、しばらくはここに居させてもらうしかないな、なんて考えながらうたた寝をしていると、ゲストハウスの人から「近くに神社が避難所となり受け入れてくれるそうなので希望者は行ってください」と声がかかり、5分ほど歩いて神社に移動しました。
境内にある3階建ての建物は、いつもは講習会などで使用している広い部屋がいくつもあり、各部屋にはすでに大勢の人が避難していました。電気も水も通っていたので、早速スマホを充電し、家族に伝えました。
その後については、先日の日記で書いた通りです。
災害時におけるスマホの威力、バッテリー温存の重要さを痛感した一日でした。
そして、長女の情報種収能力と的確な判断力に、改めて感服しました。
明日からまたいつもの日常に戻ります。
=========================
バックナンバーはこちら。
http://lastly-ex.com/bkn42581/tkdiary/
メルマガ登録・解除はこちらから。
https://maroon-ex.jp/fx42581/weYe26
■木村創作通信メルマガ
https://maroon-ex.jp/fx42581/etYHyx
■木村タカヒロHP
http://www.faceful.org/
■キムスネイクHP
http://www.kimsnake.jp/
■木村創作教室HP
http://flyingdragon.me/
=========================