木村タカヒロ日記 バックナンバー
日時 | タイトル | 配信数 |
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2018/04/25(水) 10:00 | 【木村タカヒロ日記】Vol. 54 カナヅチ | 84 |
2018年4月25日
おはようございます。木村タカヒロです。
昨日は小学生の頃にリコーダーが苦手だった話を書きましたが、
もうひとつ、苦手なものがありました。
プールの授業です。
僕が通っていた幼稚園は、当時、区立では珍しく
(ビニールではない)ちゃんとしたプールがあった。
ある日、二人一組になって手押し車をやってみよう、
と先生が言い出し、僕は仲のよかった〇〇君と組んだ。
〇〇君に両足を持ってもらい、僕は腕だけで前進する。
順調に進み、けっこうスピードが乗ってきたところで、
突然、〇〇君は僕の両足を放り投げた。
溺れてパニック状態に陥る僕。
いま思えば、膝くらいの水深だったと思うが、
パニック中の僕は本当に溺れ死ぬんじゃないかと焦った。
溺れながら心の中で「俺は運がいいから大丈夫」と
繰り返しつぶやいていたのを、
なぜか今でもはっきりと覚えている。
それ以来、水が怖くなった。
小学校、中学校のプールは、毎回見学。
夏休みにもプールがあったが、これも欠席。
自分がカナヅチであることを、
クラスメートにも親にも言えなかった。
たまに女子生徒に「木村って泳げないんだよねー」
なんてからかわれることがあり、そんなときは、
「誰に聞いたんだコノヤロウ」とキレていた。
さらに親までが「あんたなんでプール休んでばっかりなの?
もしかしてカナヅチ?」なんて侮蔑するように言う。
考えてみると、不思議だ。
小学校で僕は泳ぎ方を教わった記憶がない。
それなのに、周りのみんなはいつの間にか泳げるようになっていた。
もしかしたら、はじめに初歩的な練習をやったのかもしれないが、
僕は幼稚園時代のトラウマもあって付いていけず、
おいてけぼりになったのかもしれない。
なぜ先生は、泳げるようになるまで、
根気強く僕に付き合ってくれなかったのだろうか。
先生も、親も、クラスメイトも、
みんなで僕を笑い者にしていたのだ。
ああ、なんだか腹が立ってきた。
中学2年生になって、僕はこっそり区民プールに通いだした。
本屋で水泳の教本を立ち読みしてハウツーを記憶し、練習した。
特訓の甲斐あって、ほどなくして泳げるようになったが、
それまで見学ばかりだったプールの授業に、
いきなり出席するのもなんだか恥ずかしく、
結局ずっと見学のまま中学を卒業した。
大人になって通いだしたスポーツジムでは、
いつもプールで「じたばた泳ぎ」をやっている。
これは、仰向けになって、線香花火のように
手足を四方八方にじたばた動かしながら進む
僕が開発したオリジナルの泳法だ。
はじめのうちは溺れているんじゃないかと
ジムの皆に注目されたが、暫くして見慣れたようだ。
幼稚園で溺れたときのじたばたが役立っている。有難い。
絵を生業にするようになってから作った
キャラクターのバーチャルタレント事務所は、
べつに僕がモデルというわけではないが、
社長をカナヅチという設定にしておいた。
キム社長の絵(2005)
東京は雨。