木村タカヒロ日記 バックナンバー
日時 | タイトル | 配信数 |
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2018/04/26(木) 09:20 | 【木村タカヒロ日記】Vol. 55 ヘルプ!KIMVIRUS | 84 |
2018年4月26日
おはようございます。木村タカヒロです。
うーむ、書きたいことはたくさんあるのだけど、
頭の整理ができないなあ、青春日記ばかりでもなんだしなあ、
と考えているうちに、ふと、まだ奥の手があることに気づきました。
今日は前メルマガ「キムウィルス」より、
ふむふむ、今も同じ考えだな、というやつを再掲します。
[ 2012.11.08 ]
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■キムウィルス====== Kim-Virus - Vol.59
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歳を重ねるごとに、「自分の役割」みたいなものについて考えるようになりました。
20年以上前、フリーになりたてのころに、同年代の見知らぬ男性から手紙をもらったことがあります。
メールなどない時代なので封書で送られてきたのですが、あけてみると、こんなことが書かれていました。
「僕は絵を志していたけど、木村さんの作品を見て、やめることにしました。
自分がやりたかったことやってくれてるので、これからは応援します。僕の分までがんばってください」
手紙を読み、そんなに僕の作品を気に入ってくれたのかと嬉しくもありましたが、
同じ絵を志す者として、彼の心情を理解できませんでした。
自分がやりたかったことを先にやられて悔しくないのか。
僕なら「負けてなるものか」とますますのめりこむだろうと思いました。
それが今ではなんとなくわかるようになりました。
自分がやりたいことを、自分よりもうまくできる人がいるのなら、その人がやってくれたほうが良い。
この世に在るべき作品が、ちゃんと生み落とされることが大事。
自分はさっさと身を引き、得意な人に託す。
「好き」とか「やりたい」という気持ちはあまりどうでもよく、
それよりも「やるべき」か「やらぬべきか」ということを先ず考えてしまうんですね。
これをやることによって何かの役に立てるのだろうか、ということが気になるし、そこがモチベーションにもなる。
しかし同時に、この世に在るべき作品が、誰の手を通して出現するのかといえば、
「好き」「やりたい」という熱烈さで手もとに引き寄せた人間から生まれるのだという思いもあり、
だとすれば、役割とかいってる自分はもう、それを引き寄せることはないのかなあ、と寂しくなったりもします。
結局「やりたい」と「やるべき」のあいだで折り合っていくしかないのですが、
小器用に折り合えるような人間に面白いものが作れるのかという疑問もあり、紆余曲折、一喜一憂するわけです。
じつはその紆余曲折や一喜一憂の狭間にこそ創造の種が潜んでいるのではないか、なんて密かに期待しながら……。
ゆれる思考の両極がどこにあるのかわかりませんが、
振れ幅のどこかでふっと際立つ断片を、直感で捉えていけたらなあ、なんて思います。
ややこしくなりましたが、ようするに、いま思うことをやっていこう!といいたかったのです。
運が悪けりゃ死ぬだけさ〜
良い天気!