木村タカヒロ日記 バックナンバー
日時 | タイトル | 配信数 |
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2018/05/06(日) 09:30 | 【木村タカヒロ日記】Vol. 65 代打木村22才(1988) | 81 |
2018年5月6日
おはようございます。木村タカヒロです。
今日も代打です木村22ヨロシク!
暗黒時代……。
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1988年
1月22日
公募展に落ちた作品を取りに行ってきた。
その帰りに一冊の本を買い、今読み終えた。
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自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。
己を殺す決意と情熱を持って危険に対面し、生きぬかなければならない。
今日の、すべてが虚無化したこの時点でこそ、かつての時代よりも一段と強烈に挑むべきだ。
強烈に生きることは常に死を前提にしている。死という最もきびしい運命と直面して、はじめて命が奮い立つのだ。
死はただの生理的な終焉ではなく、日常生活の中に瞬間瞬間に立ちあらわれるものだ。
この世の中で自分を純粋に貫こうとしたら、生きがいに賭けようとすれば、必ず絶望的な危険をともなう。そのとき「死」が現前するのだ。
惰性的にすごせば死の危機感は遠ざかる。しかし空しい。死をおそれて引っこんでしまっては、生きがいはなくなる。
今日はほとんどの人が、その純粋な生と死の問題を回避してしまっている。だから虚脱状態になっているのだ。
個人財産、利害損得だけにこだわり、またひたすらにマイホームの無事安全を願う、現代人のケチくささ。卑しい。
小市民根性を見るにつけ、こんな群れの延長である人類の運命などというものは、逆に蹴とばしてやりたくなる。
人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだ。それが誇りだ。死ぬもよし、生きるもよし。ただし、その瞬間にベストをつくすことだ。
現在に、強烈にひらくべきだ。未練がましくある必要はないのだ。一人ひとり、になう運命が栄光に輝くことも、また惨めであることも、ともに巨大なドラマとして終わるのだ。
人類全体の運命もそれと同じようにいつかは消える。それでよいのだ。無目的にふくらみ、輝いて、最後に爆発する。
平然と人類がこの世から去るとしたら、それがぼくには栄光だと思える。
(自分の中に毒を持て/岡本太郎)
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久々に熱くなった。ヤル気が涌いてきた。
俺にとって今の状況はすごくいいことなのかもしれない。
今の俺には全く自信がない。最低な人間だと思う。まわりの奴らから取り残されてしまったように・・・。
でも、それはそれで事実なのだから仕方ない。ヘタに正当化しても笑われるだけだ。
何で普通に働かないの?それは絵を仕事にしたいから。
いずれ絵で食べてゆきたいから・・・そんな考えじゃ絵は売れないよ。
今の俺は、なんとか世間に認められたい、とそればかり考えているんじゃないの。
絵を描くことが苦痛になってるんじゃないの。
何で描くかって、仕事のためじゃないでしょ。好きだから描いてるんでしょ。
描くことの喜びを素直に表現できたら、どんなに嬉しいことだろう。
まだまだ先は長い。が、先を見るのはやめよう。
やはり、一日一日、一瞬一瞬燃え上がっていなくては。
それが喜びであろうと、悲しみであろうと、とにかく生きているのだから。