木村タカヒロ日記 バックナンバー
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2020/01/16(木) 13:00 | 【木村タカヒロ日記】Vol. 684 代打キムラ38歳(2003)世に出るのは難しい? | 136 |
2020年1月16日
こんにちは。木村タカヒロです。
代打キムラ38歳時HP日記の続きです。
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2003年4月23日
敬愛する画家・寺門孝之さんの
神戸での展覧会がはじまります。
今回は「闇の妹」シリーズがずらりと並ぶそうです。
個人的にとても思い入れのある闇の妹様、
東京から想いを寄せています。
さて続きです。
僕はイラストレーターになるべく
セツモードセミナーに入学しました。
二十歳のときです。
日本グラフィック展という公募展で、
グランプリ作品に一目惚れ&感動し、
それを描いた作家がセツ出身と知り、
迷わずセツに行こうと決めました。
そのグランプリ作家がご存知、寺門さんです。
入学してからは、
長沢節先生の存在に圧倒されながら
絵を描きまくりました。
長沢先生は「自由で上品な絵」を好みました。
「自由」というのは結構むずかしく、
セツでの数年間は、それまで植え付けられていた
中途半端な概念から脱して自由になるための
時間だったように思います。
寺門さんや長沢先生のような「自由で上品な絵」が
僕の目指すところだったので、
ますます父の仕事に感心は無くなっていきます。
原作をもとに作るアニメーションは自由ではないし、
マンガに上品さを感じることはありませんでした。
たまに描いた絵を父に見せると、
「デッサンがなっちゃない」と言われ、
「なにを。マンガと絵は違うのだ」と反発していました
(たしかになっちゃない、と今は思うのですが)。
とにかく異業種なので、
オヤジにアドバイスされても役にたたない、
と思っていたんですね。
なので、絵のことで教えを乞うことは、
ほとんどありませんでした。
父のアドバイスで唯一、有難いと思ったのは、
絵とは関係ないことでした。
セツ卒業間近になっても、なかなか絵が上達せず、
公募展に応募しても落選し、
出版社にイラストの売り込みに行っても仕事がもらえず、
テキトーにバイトをしながら、
「このままずっとテキトーに過ごしてゆくのかなあ」
と不安になり、ある時、車の中で
父に愚痴ったことがあります。
「世に出るのは難しいよ」と。
すると運転しながら父は
「お前が思ってるほど、難しいことじゃないよ。
大平洋を泳いで横断しようってんじゃないんだから。
たかだか日本だろ。ちっこい東京だろ、
そん中でイチバンになるのは、
そんな難しいことじゃないよ」と
大きな声、大きな態度、坊主頭で言いました。
いま思うと、突拍子もない比較ですが、
そのときの僕は妙に納得し、気が晴れました。
それから数日して、顔面画が誕生しました。
ああいけない。また自分の話になってる。
しかも「ちょっとイイ話」にしようとしてないか。
つづく。
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良い一日を!
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