木村タカヒロ日記 バックナンバー
日時 | タイトル | 配信数 |
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2018/05/24(木) 10:30 | 【木村タカヒロ日記】Vol. 83 許す力 | 83 |
2018年5月24日
おはようございます。木村タカヒロです。
YOUTUBEでアメフトタックル事件の
選手による謝罪会見をみた。
勇気ある行動だと思った。
そして、事後処理が一通り済んだら、
早くこのことを忘れてほしいと思った。
また、被害にあった選手も、
許す心境になってほしいと思った。
(もう許しているかもしれないけど)
反省と後悔は混同されがちだ。
過ちを振り返り、
二度と繰り返さないために考え、
改善策を講じるのが反省で、
過ちに対して、いつまでも
クヨクヨと思い悩むのが後悔だ。
だよね?
一応ネットで調べてみる。
【反省】
普通のとらえ方や自分の普段の行動・
あり方を振り返って、それでよいか考えること。
【後悔】
してしまった事について、後から悔やむこと。
???これはやばい。
反省のなかに、
「それでよいか考えること」とあるが、
これでは、考えること自体が反省となってしまう。
過ちを犯したのだから、
考えたら悔やむに決まっている。
となると、「反省しなさい」は
「後悔しなさい」と同義ということになる。
反省するのは(考えるのは)、
改善策を講じるまででよいと思う。
改善策がわかったら、
あとはもう忘れる(後悔しない)。
それで解決するはずだが、
なかなか一筋縄でいかないのが、
被害者や世間や一般論常識の反撃だ。
相手が反省を終えて前に進もうとしても、
「あいつは反省していない」
「もっと反省(後悔)しろ」と
執拗に攻め立てる。
いつも思うのだが、
「すみません、心底反省しています」
と深々と頭を下げながら、
腹のなかで「アッカンベー」と
舌を出していたらどうするんだろう。
人が何を考えているかなんて、わからない。
「ごめんなさいごめんなさい。
自分はダメな人間です。もうしません」
と後悔していたって何も変わらない。
それなのに、後悔させようとする。
むかし、オウム真理教という宗教団体による
サリン事件というのがあった。
住宅街で猛毒のサリンを撒き散らし、
それを吸い込んだ人が意識不明になったり、
植物状態になるなどの被害にあった。
被害者の一人に、河野さんという男性がいて、
河野さんは、自身は無事であったが、
奥さんが被害にあった。
事件直後はオウムによる犯行とわからず、
河野さんが疑われた。
今でもよく覚えているが、
テレビは特番を組み、数々の証拠を
並べ立てて河野犯人説を唱えた。
まもなくしてオウムの仕業とわかり、
警察もテレビも世間も大慌て。
事件後もテレビは、数年にわたって、
植物状態の奥さんを看病する
河野さんの姿を追った。
たまたま見ていたテレビで、河野さんは、
元オウム信者と仲良く釣りをしていた。
親友だという。
驚愕した。
こんなふうに、許せる人もいるんだな、
自分には無理だな、と思った。
些細な出来事で人を恨んだり、
小さな失敗をいつまでも後悔したりと、
「許せる人」になるのはなかなか難しい。
自分をふくめ、
これから人が向かうべき方向、
身につけるべき能力は、
どうも「許す力」ではないかと
思わずにいられない。
相手の過ちを許す。
自分の過ちを許す。
後悔はしない。
もし後悔したら、後悔した自分を許す。
最強の能力だと思う。