木村タカヒロ日記 バックナンバー
日時 | タイトル | 配信数 |
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2018/05/28(月) 09:30 | 【木村タカヒロ日記】Vol. 87 代打・木村46(2010) | 82 |
2018年5月28日
おはようございます。木村タカヒロです。
いやはや、WINノートパソコンでの作業は
難航を極めます。
操作が不慣れなだけでなく、老眼のため、
表示が見えない。
いちいち虫眼鏡で確認しています。
文字も極小かつ明朝なので、まるで見えない!
なので日記の更新も一苦労。
こんなときこそ過去日記に頼りたいところだけど
フォルダは壊れたパソコンの中(泣)。
というわけで、今日はEVERNOTEに眠っていた、
2010年に出版された画集の収録作品について
解説したブログ記事を載せておきます。
長いです。
絵(e)と動画(motion)を結ぶ(-)
僕はいつも、顔面コラージュを下描きなしに、即興で制作しています。
そのため、一枚の絵を仕上げる過程で、目や鼻や口は動きまわり、どんどん表情を変えていきます。
男が女になったり。泣き顔が笑顔になったり。整ったと思ったら壊れたり。
素材をびりびりに破いて、パーツを繋ぎあわせ、色鉛筆を走らせ、絵具を塗り、
爪で引っ掻いたりしながら、顔面画の誕生を待ちます。
そうして「あ、できた」と思う瞬間がやってきたら、そこで制作終了です。
顔面作品を見た人に「ぐにゃぐにゃ動いて見える」とか、
「前に見たときと表情が変わってる気がする」という感想を言われたりしますが、
それはもしかしたら、制作中の動感が痕跡として絵のなかに残っているからかもしれません。
コラージュをはじめて約20年。その制作手法は完全に自分のものになりました。
制作行程において、テクニックやスタイルで迷うことが一切ないため、
何の引っかかりもなく、バランス感覚だけを拠り所に手を動かすことができます。
そのバランス感覚を研ぎすますには、予定調和にならないことが肝要だと思っています。
手で破くことによって偶然現れた形、無造作に引いた線、水の加減によって変化する色の広がり。
それらをバランス感覚によって取捨選択し、必然に変わるまで何度も繰り返します。
このようなアナログによるコラージュは、僕がいちばん力を発揮できる制作手法です。
1999年、パソコンを導入し、アニメソフトのFLASHを知り、その直感的な操作性に触れてみて、
すぐにコラージュの制作行程をアニメーションにするアイデアが浮かびました。
そして顔面作品やキャラクター作品を作りはじめました。
なかなか面白いものが出来たのですが、コラージュの素材を読み込んで動かす、という使い方に、
FLASH(当時ver.3)はすぐに悲鳴をあげました。
即興的制作にはリズムが大切です。
そのため、一枚の絵を仕上げる過程で、目や鼻や口は動きまわり、どんどん表情を変えていきます。
男が女になったり。泣き顔が笑顔になったり。整ったと思ったら壊れたり。
素材をびりびりに破いて、パーツを繋ぎあわせ、色鉛筆を走らせ、絵具を塗り、
爪で引っ掻いたりしながら、顔面画の誕生を待ちます。
そうして「あ、できた」と思う瞬間がやってきたら、そこで制作終了です。
顔面作品を見た人に「ぐにゃぐにゃ動いて見える」とか、
「前に見たときと表情が変わってる気がする」という感想を言われたりしますが、
それはもしかしたら、制作中の動感が痕跡として絵のなかに残っているからかもしれません。
コラージュをはじめて約20年。その制作手法は完全に自分のものになりました。
制作行程において、テクニックやスタイルで迷うことが一切ないため、
何の引っかかりもなく、バランス感覚だけを拠り所に手を動かすことができます。
そのバランス感覚を研ぎすますには、予定調和にならないことが肝要だと思っています。
手で破くことによって偶然現れた形、無造作に引いた線、水の加減によって変化する色の広がり。
それらをバランス感覚によって取捨選択し、必然に変わるまで何度も繰り返します。
このようなアナログによるコラージュは、僕がいちばん力を発揮できる制作手法です。
1999年、パソコンを導入し、アニメソフトのFLASHを知り、その直感的な操作性に触れてみて、
すぐにコラージュの制作行程をアニメーションにするアイデアが浮かびました。
そして顔面作品やキャラクター作品を作りはじめました。
なかなか面白いものが出来たのですが、コラージュの素材を読み込んで動かす、という使い方に、
FLASH(当時ver.3)はすぐに悲鳴をあげました。
即興的制作にはリズムが大切です。
思いついたことをすぐに実行出来ない(負荷が重くてソフトが耐えられない)、ひとつの処理に時間を要する、
などによってリズムが崩れると、そこで手が止まってしまいます。
しばらくは、ソフトの性能に自分のスタイルを当てはめ、
しばらくは、ソフトの性能に自分のスタイルを当てはめ、
計画性と即興性のバランスを取りながら、可能な範囲で作品制作を続けました。
ソフトを使いこなせるようになり、マシンのスペックも向上してきたことによって、
ソフトを使いこなせるようになり、マシンのスペックも向上してきたことによって、
徐々にアナログと同じ感覚で動画制作ができるようになってきました。
瞬間的な閃きを実行してトライ&エラーを繰り返し、バランス感覚による取捨選択で、偶然性を必然に変えていくようなことが、パソコンでも可能になりました。
瞬間的な閃きを実行してトライ&エラーを繰り返し、バランス感覚による取捨選択で、偶然性を必然に変えていくようなことが、パソコンでも可能になりました。
リズムを崩さずに制作できるようになってきたのです。
このような過程を経て、いまは、制作時における絵と動画の感覚的な相違はほとんどなくなってきました。
動画は自分の作品を表現するための、一つの手法であり、
このような過程を経て、いまは、制作時における絵と動画の感覚的な相違はほとんどなくなってきました。
動画は自分の作品を表現するための、一つの手法であり、
動画ソフトは、絵具や筆と同じようにツールの一つとなりました。絵と動画が結ばれたのです。
もちろん、絵も動画も、まだまだ発展の余地はおおいに有りますが。そこは精進です。
画集で見る絵の中に動きを感じてくれたら嬉しいです。
DVDの動画作品では、残像として目の奥に焼き付いた画像を、絵として感じてくれたら嬉しいです。
もちろん、絵も動画も、まだまだ発展の余地はおおいに有りますが。そこは精進です。
画集で見る絵の中に動きを感じてくれたら嬉しいです。
DVDの動画作品では、残像として目の奥に焼き付いた画像を、絵として感じてくれたら嬉しいです。

KISS(motionより)
そしてもう一つ。
emotion 感動 情動
作品制作をするとき、僕は冷静で、ほぼ無感情です。
「描いてるときの感動を伝えたい」とか「自分の中の激しい情動を絵にしたい」とか、そんな思いは微塵もありません。
ただフォルムと色のバランスに気を配りながら、淡々と作業します。
それはもしかしたら、表面的な薄っぺらい自己意識のスイッチをオフにして、
深層部分へアクセスするためのプロセスなのかもしれません。
そこで僕は、人間の心の奥底に内在する様々な感情と出会い、顔面を斬ります。冷徹さをもって。
そうして浮かび上がった顔が、見る人の感動や情動を喚起したなら、それは作者冥利に尽きます。

Float(motionより)
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